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Radio Days 大きな存在


ラジオはアメリカン

「DJ・大橋照子が、アメリカのヒットナンバーを紹介しながら、
大人の魅力でそっと語りかける番組」
これがラジオ雑誌の新番組コーナーに書かれていた紹介文。
しかしそれは、雑誌の編集さんがタイトルを聞いて
想像だけで書いてしまった文である事が、
1981年4月12日、ピーピーキャーキャーDJにより証明されてしまった。
本当は「中身が薄い」から「アメリカン」だったのだ。

「ラジアメ」の呼び名で親しまれたこの番組、
何と言っても照子さんの存在が大きかった。
普通のDJは自分の真正面にいる感じなのに対して、照子さんは横にいる感じ。
具体的には、ちょっと表現できない。
この Radio Days のコーナーで何度も出て来る、「居心地が良い」のだ。
そういうDJ、なかなかいない。既にその段階でカリスマだった。
しかも提供がナムコ。
よく遊んでるゲームの音楽をジングルで使ってるのが馴染みやすいのもあった。

DJはその後、斉藤洋美さん、大原のりえさんに引き継がれていった。
(照子さんは旦那さんの仕事の都合でアメリカに行ってしまいました。今はもう帰って来ています。)

洋美さんの頃が恐らくラジアメの絶頂期だったと思うけど、
自分自身は進学だの、引っ越しだの、で、だんだん聴く機会も減っていってしまった。

それでも、ラジアメ最終回の日、一度くらいはTBSのステレオ放送で聴こうと思い
日曜深夜、車を走らせ、関越自動車道上り線、
嵐山PAにラジカセとヘッドホンを持ちこみ、
最後の放送を録音しながら、一字一句、噛み締めるように聴いた。
番組が終わると、ラジアメのいろんな事が思い出された。
初めて照子さんの声を聞いた日。
ボツの日々。
照子さんの産休DJ、岡本りん子さん登場。
照子さん、重大発表。そして降板。
洋美さん初登場。
のりえさん初登場…
最後の数年間はほとんど聴かなかったくせに、
気が付くとラジアメは、自分の歴史の一つになっていた。

ちなみに、アシスタントは構成作家の鶴間政行さん。
萩本欽一さんとかが所属している、「浅井企画」系の方。
(今はSMAP×SMAP、笑っていいとも!なんかも手掛けてます)

なお照子さんの帰国後、「ラジオはカプチーノ」(内容が濃くなったらしい)、
「シャベリバビデブー」といったラジアメの後継っぽい番組が製作され、
現在は「大橋照子のこれでキメましょう」が好評放送中です。
もちろん、アシスタントは鶴間さんです。提供はナムコです。
でも放送局は、ラジアメ当時のTBSから文化放送に変わりました。
局が変わっても同じ布陣で番組が持てるとは、さすがはカリスマDJの照子さんです。
また本家(?)「ラジアメ」は、2代目DJ・斉藤洋美さん&またもや鶴間さんのコンビで、
ネット上で復活する事になりました。

合言葉は 「ラジラジ」 「アメアメ」

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